辿り着いた場所

明長寺 川崎
M240 / Summilux-M 50mm ASPH

同じ場所なのに違う景色に見えた
変わったのは自分かな
それが成長だったら良いな

この日は朝から4〜5時間も歩いていたけど、これといって収穫はなかった。いくら歩いても撮りたいものに出会わない時はどうにもならない。天気が良くて、歩いてさえいれば体はポカポカしていることだけが救いだった。

シャッターを切るどころかカメラを構えることすらないままに時間が過ぎていく。一人で歩く時間は自分と向き合う時間でもある。意識はいつの間にか内側に向いていった。ひょっとして撮るべきものがあったとして見つけられなくなったのか?と不安にもなる。視力が落ちたからとか、心が動かなくなったのではないかとか。思い当たる節はいくつもあるし。ものを見る力が衰えてきたのかもしれない。

朝日を背にして家を出たのに、いつの間にか夕日の時間が近づいている。いよいよ今日は何もなかったなぁなんて思いながら、最後に訪れた場所は、何年か前に通り過ぎたことがあるお寺さんだった。その時は、門の両枠にある象の彫り物が印象的だったことを覚えているだけで、写真を撮った覚えはない。でも、この日は吸い寄せられるようにその門に歩み寄った。通りからのぞいた時に、奥の本堂に夕方前の柔らかな光が差しているのが見えたのだ。写真を撮りたいというより、その光景を確かめたいと思った。今しがた美しいと思った光とその場所が本当に美しいのか、ちょっとした答え合わせだった。

静かに門をくぐり、庭を通り、本堂に近づく。庭の草木は冬の装束を纏っていた。枯れた葉が枝に残っているだけで、緑の葉はほとんどない。梅などこの時期の花が咲いているわけでもなく、常緑樹が並ぶわけでもないその庭は、それでも長い年月をかけて大切にされてきたことが感じられた。

本堂の前で頭を下げる。そして、その壁に揺れる太陽の光を眺めて、ほっとした。そこには、思った通り美しい光と風景がちゃんとあった。

最後のお寺さんで久しぶりに訪れた場所が以前とは違って見えたように、その時はズミルックスも違うレンズを使っているような感覚があった。それはもちろん僕の変化によるものだ。ズミルックスを使い始めたばかりの頃はとにかく派手なボケをどうやって出すかばかり考えながら使っていた。けれど、今はもう少し写真全体を眺めながら、心地よいボケを求めている。その変化が安定を求めるだけの退化ではなく、成長だと良いなぁと思う。

ついでに書いておくと、今回は久しぶりにLightroomで現像してみた。特に理由はないのだけれど、何となくそうしてみたかったから。Lightroomはこれもまた、別のアプリケーションをいじっているみたいだった。もっともこちらは、僕の知らないうちにヴァージョンアップが進んだためで、本当に新しい別のアプリケーションみたいだった。でも操作性はしっくりきて、小さな発見をしたみたいな気分で使った。

※今日お邪魔したお寺さんは川崎大師の近くにある、天台宗の長明寺というお寺さんです。お寺が建てられたのは1400年代と相当古く、今ある本堂も天明2年(1782)に再建されたものだそうで、かなりの歴史があるお寺さんでした。ご参考まで。

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