今回の写真展のテーマを考える上で、「日常」という言葉について考えていると散々語ってきたにも関わらず、なぜ突然タイトルが「あわい」になってんの?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。今回は、そのあたりについて、書いておきたいと思います。
※このページの写真は写真展では展示されていません。

大きな意味で言えば「日常」について考えながら写真を選んだということには変わりがありません。ただタイトルとして言葉を選ぶ際には、「日常」という言葉では少し範囲が広すぎると感じたのです。今回写真で表現したかったのは、
- 誰かの日常を写真として捉えることでそこに物語を感じることができる
- 日常の中でふとした瞬間に感じる違和感をリフレクションやボケなどを使って表現する
- 日常は一定ではなく、常に変化していて、本質的に儚いものだということ
これらを考えていた時に、「あわい」という言葉を見つけました。

「あわい」という言葉の意味
「あわい」は、漢字で書くと「間」「合」「逢」などと表記され、主に名詞として使われる場合と、形容詞「淡い(あわい)」として使われる場合があります。
1. 名詞としての「あわい(間・合)」
古語としての「あわい」は、物事と物事の「あいだ」を指す言葉として広く使われていました。
- 空間的な間。物と物の隙間や中間。
- 時間的な間。ある時からある時までの間。
- 人間関係。人と人の間柄。
2. 形容詞としての「あわい(淡い)」
こちらの「あわい」は、現代語の「淡い」とほぼ同じ意味で使われますが、古くはより広い「はっきりしない、かすかな」というニュアンスで用いられました。
- 色が薄い。
- 光が弱い。
- かすか、はかない
このように、「あわい」という言葉は、具体的な「すきま」から、人間関係、そして色や光、感情といった抽象的なものまで、様々な「はっきりしない中間的な状態」を表す、非常に表現豊かな言葉でした。
なぜ「あわい」がしっくりきたのか
写真はふとした瞬間を切り取るもの。時間と時間の間で、その瞬間だけを選んでシャッターを切ることで生まれるものです。そして、誰かの日常のある瞬間を上手く捉えることができれば、そこに物語が感じられることがあります。
また、日常の中でふとした瞬間に違和感を感じるのは、時間と時間の狭間、空間と空間の狭間に入り込んだような不思議な感覚を覚えるものです。
また、決して一定ではなく、少しずつ変わっていってしまう日常は、とても儚いものです。これらのことを「あわい」という言葉に重ねると、とてもしっくりくるように感じました。
僕の写真は、ぼけや映り込みを使って、曖昧な境界や柔らかな表現を多用していることを考えても、「あわい」という言葉がタイトルとして丁度良いと感じたのです。

写真展概要
- 展覧会名:上田和寛 写真展「あわい」
- 会期:2025年6月25日(水)〜6月30日(月)/ 11:00 – 19:00(最終日は16:00まで)
- 会場:ギャラリー SPACE K(東京・代官山)
- 在廊予定:全日程在廊予定
- 入場:無料
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みなさまのご来場を心よりお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
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