ズマールは、初めはどう扱って良いかわからないレンズでした。
少し光の向きが違えば真っ白になるし、ゴーストもフレアも面白いけれど、美しいという感じでもなく。僕にとっては、どちらかと言えば「光をきちんと見るための練習用のレンズ」くらいの位置付けでした。
そんなわけで、すぐにノクティに戻るかなと思っていました。ところが、だんだん面白くなってきて、何か撮れるのではないかと感じ始めて、いつの間にか二ヶ月ほどが経ちました。
もともと僕は、はっきりくっきり隅々まで破綻なく写っている写真が欲しいわけではなかったので、ズマールとの相性は良かったのかもしれません。ズマールじゃないと撮れない写真があるかは、まだ分かりません。
東京にも雪が降った日、朝から親に起こされて、隣の公園へ。せっかくだからシャッターを切ってくれと。はいはい、只今参ります、という感じで七時三十分にはカメラを構えていました。
親のSL2-Sと僕のM240。SL2-SにはLマウントのズミクロン、M240にはズマール。同じ場所で同じ被写体を撮ると、明らかにSL2-Sの方が良い写真だなぁと感じました。Lマウントのレンズはあまり知りませんが、このズミクロンはとても優しい写りでした。家族の写真や柔らかなポートレートを撮るには最高です。去年、父の写真を何気なく撮った時に驚きました。
あ、父が笑っている。しかも自然に。こんなに良い笑顔ができるんじゃん、と。
ところがその後、一人で近所の水辺を撮り始めると形勢逆転。SL2-Sとズミクロンはきちんと写っているけれど、どこか面白くない。もちろんカメラやレンズのせいではなく、撮り手の問題なのですが。
ひとつは、レンジファインダーだとどう写るか分からない分、考えるし、時には逆に雑に撮ることもあって、写真が平均的にならないところ。
もうひとつは、ズマールの緩さのおかげで、少し絞っても堅苦しくならないところかもしれません。同じ50mm F2とは思えないほど、写真の表情が違うのが面白いです。

ライカのMで撮る時、考えるのはカメラではなく、いつも自分です。だからSL2-Sで撮るよりも、自分の感情がそのまま写真に載っているように感じます。レンズの少しいい加減な性格も、どこか僕に似ているのかもしれません。
性能が高いレンズが、必ずしも「自分の作品を見つけられるレンズ」とは限らないのです。
むしろ――
世界をそのまま写しすぎないレンズのほうが、僕の今の感覚には寄り添ってくれている気がします。

ズマールは、何かの境界線を曖昧にしてくれる感じが好きです。ハイライトの滲みだったり、光が漏れるような表情だったり。どこか余韻を残してくれます。

「きれいにうまく写る」よりも、「世界がにじむ」「光が揺れる」そんな感覚が好きなのかもしれません。大それたものではないけれど。

そろそろ、誰が何のカメラやレンズを使っているかよりも、
今の自分の世界が何を欲しがっているかのほうが、少し大事になってきたのかもしれない――そんな生意気なことを思ったりします。
ついでに、誰かの評価を気にする不自由さも手放して、
いっそ写真が詩のように自由になればいいのに。
そんな曖昧な夢が叶うにはまだまだ遠いけれど、
ズマールは、そんなことを考えさせてくれるレンズです。

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