
東京の雑多な街並みを、いかにヨーロッパのような雰囲気で撮るか。 そんなことばかり考えて試行錯誤していた頃、初めて本物のヨーロッパ(ダブリン)を訪れました。
そして、僕はそこでカメラの構え方がわからなくなってしまったのです。
ボケに逃げる東京、背景を受け入れる欧州
東京にいる時の僕は、背景のごちゃごちゃした看板や電線を隠したくて、「とにかくボカしたい」という一心でシャッターを切っていました。ズミルックスの開放(f1.4)こそが正義、といわんばかりに。
けれど、ダブリンの街に立った瞬間、僕は無意識のうちに絞りリングを回していました。 「背景を見せたい」 石造りの壁、重厚なドア、曇り空のトーン。そのすべてが美しく、ボカして消し去ってしまうのが惜しかったのです。
帰国後に写真を見返して、自分でも驚きました。 「せっかくのズミルックスなのに、なんでこんなに絞ってるんだ?」と。 当時は「もっと開放独特の描写を楽しめばよかった」と少し後悔さえしたものです。
9年後の答え合わせ
けれど、あれから9年が経ち、2025年の今の視点で当時の写真を見返すと、感想はまるで逆になります。 「背景を写しておいて良かった!」と。
何でもかんでもボカして雰囲気で押し切る時期を過ぎると、背景が程よくボケつつも、その場所の空気や文脈(コンテキスト)がきちんと写っている──そんな写真が好ましく思えてくるのです。
この写真のExifデータをLightroomで確認すると、絞り値は「F8」になっていました。 明るいレンズをあえてF8まで絞る。当時の僕にしては信じがたい選択ですが、今の僕としては納得です。むしろ、でかした!なんて気さえします。
現像ではハイライトを抑え、シャドウを持ち上げ、明瞭度を少し下げて(-10くらい)、モノクロームで仕上げる。それでも質感が失われないのは、しっかりと絞り込んだおかげでしょう。
街が変われば、光が変わる。光が変われば、撮り方も変わる。 写真は正直です。その時の僕が、ヨーロッパの街並みに感動して絞りリングを回した僕自身が、ちゃんと写ってしまっているのですから。
ズミルックス(Summilux-M) 50mm f1.4 ASPHの他の写真はこちら
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